【 ガラシャ 】
今回と次回は、2回にわたって細川ガラシャを語りたい。映画「魔界転生」では、魔界に堕ちて現世に復活し、復讐の鬼となった天草四郎が仲間募集ということで、最初に口説きに行ったのがガラシャだった。
なぜガラシャに目をつけたのか。これは後になって「あ、そういうことか」と判明するのだが、ガラシャの美貌で時の徳川将軍に接近し、側女となり、将軍をたぶらかすためである。じつに陰険な方策を考えたものだが、魔界に堕ちて悪魔と契約したのだから「陰険もヘチマもあるか」といったところだろうか。
ともあれ四郎はガラシャを復活させる。ガラシャは埋葬された死体がゾンビとなって地中から這い出てきたような登場をする。キリシタンだから埋葬されたのか。などと思ってはいけない。この点は史実とはほど遠い。ガラシャの最期は「屋敷を軍勢に囲まれ、家臣たちと共に自害。屋敷は炎上」という悲惨この上ないものだった。埋葬どころか、彼女は屋敷と共に灰になったのだ。享年37歳。
【 新婚時代 】
さてガラシャ(1563 – 1600)の生涯37年間を見て行こう。
● 1563年(たま 0歳/光秀 35歳)
ガラシャは明智光秀の三女として生まれた。本名は明智玉(あけちたま)。そこで「ガラシャ」と洗礼名を名乗るまでは〈たま〉としたい。
〈たま〉が生まれたとき、光秀はまだ信長の家臣となっていない。しかしその後、光秀は足利義昭将軍を支え、京都の政治に参与する存在となり、信長の重要なブレーンとなっていく。
ちょっと余談。5年前、2020年(令和2年)の大河ドラマは「麒麟がくる」だった。明智光秀が主役ということで、道三、信長、秀吉、家康が次々に登場するこの大河ドラマを1年間楽しんだ人も多いことだろう。このドラマの1シーンに〈たま〉が出てくる。信長が「叡山焼き討ち」をした直後の京で〈たま〉が(付き人と共に)市場を歩いていると、いきなり石が飛んできて〈たま〉の頭に命中する。「叡山焼き討ち」をした武将として光秀に恨みを抱いている者の仕業だ。信長が「叡山焼き討ち」をしたのは1571年なので、この時の〈たま〉は8歳前後ということになる。
● 1578年(たま & 忠興 15歳/光秀 50歳)
〈たま〉はなんと15歳で同い年の細川忠興に嫁いだ。この時代の習いとはいえ、中3どうしで夫婦となったようなものだ。斡旋したのは信長である。忠興も〈たま〉も美男美女であったので、信長は「人形のようにかわいい夫婦」と喜んだという。
忠興は美男だったというが、どんな性格の男だったのだろう。新婚時期あたりだろうと思うが、こんなエピソードが残っている。
この夫婦が庭先で食事をしていると、庭師が思わず〈たま〉の美貌に見惚れた。それを見た忠興は抜刀し、庭師の首を跳ね飛ばした。しかも(いったいどういう神経なのだろう)刀にこびりついた血を〈たま〉の着物でぬぐった。
〈たま〉はその惨状を見ても動じることなく食事を続け、血がついた着物をそのまま数日間、着続けた。忠興はそんな〈たま〉の様子を見てさすがに不快に思ったらしく「蛇のような女だな」と言った。すると即座に「鬼の女房には、蛇がお似合いでしょう」と〈たま〉は答えた。
若い夫婦の愛は、この事件があった時点ですでにかなり冷めていたのかもしれない。
【 逆臣の娘 】
● 1582年(たま & 忠興 19歳/光秀 54歳)
本能寺の変。父・光秀の謀反により、〈たま〉の新婚生活はたった4年間で激変する。光秀は安土城に入り、その直後に上京。しかし「山崎の合戦」で秀吉に敗退。敗走中に土民により殺害された。19歳の〈たま〉にとってはなにが起こったのかよくわからない間に、たちまち「謀叛人の娘」という立場になってしまったのだ。
あせったのは忠興である。彼は直ちに〈たま〉と離縁し、「自分はこの謀反とはなんの関係もありません」という態度を秀吉に示さなければならない。それを怠ってしまえば、お家が危ない。しかし忠興は〈たま〉に未練があったようだ。彼は〈たま〉を丹後国(たんごのくに)に送った。人もほとんどいないような(私がいま住んでいるような)山奥に住まわせて、〈たま〉をかくまったのだ。
● 1584年(たま & 忠興 21歳)
「本能寺の変」から2年後。忠興と〈たま〉の別居生活を知った秀吉は、〈たま〉を許した。〈たま〉は晴れて(山奥の隠棲生活から)細川家に戻ることができた。しかし周囲からは「逆臣の娘」という目で見られることに変わりはない。実質は常に監視されている軟禁状態だった。そのような時に〈たま〉はキリスト教を知る。しかし忠興にはそのことは隠していた。
次回は20代の〈たま〉がいかにしてガラシャとなり、悲劇の最期までキリスト教信者として生きたか、そのあたりを見ていきたい。
【 つづく 】