【 日本史魔談 】魔界転生(11)

【 ワープワード 】

前回の魔談で「信長 vs 比叡山」の話をした。比叡山といえば、じつは私には生涯忘れることのない思い出がある。「比叡山焼き討ち」とも関係のあることなので、この機会にぜひ書いておこうと思う。数回にまたがる話になるが、貴重な体験のような気もするので、ぜひ聞いていただきたい。

京都から見た比叡山

かれこれ60年前のことになるのだが、私は8歳で、京都に住む小学校3年生だった。じつはよい子ではなかった。担任の先生から「注意散漫」という注意をしばしば受けていた。先生の話をろくすっぽ聞いてない。授業内容を質問してもちゃんと答えられない。確かにこんな生徒では、先生から問題児扱いされても仕方がない。
担任の先生は私の父が中学校の美術教師だと知っていたので、「先生の子なのに、どうしてこうなのだろう」ときっと思ったことだろう。「精神的になにか問題を抱えた子なのかもしれない」と思ったかもしれない。ともあれ、先生は私の両親に手紙を書いた。「家に帰ったら両親に渡しなさい」と私に渡した。

その日の夕食時、私は父にその手紙を渡した。父は開封してざっと目を通し、「おまえは授業に集中できない子だと書いてあるぞ」と笑った。その手紙を無造作に母に回し、さっさと視線をテレビのニュース番組に戻した。父は(幸いというべきか)手紙の内容など全く相手にしなかったが、母は笑い事では済まされない気分になってしまったようだった。夕食後に私は説教された。
「どうして先生の言うことをちゃんと聞かへんの?」
私は返答に窮した。

じつはその頃の私には一種の「言葉連想癖」があった。たとえば先生が発した言葉の中に「外国」という言葉があったとしよう。当時の私には(自分でも奇妙な子どもだと思うのだが)ビビッと心の琴線に触れる言葉がいくつかあった。なぜその言葉がビビッと来るのかわからない。しかしひとたび耳にして私の中に入ってきたその「言葉」はあらゆる思考を中断させて、私を夢想に走らせた。夢想は私の中で急激に拡大し、じつに様々なシーンや物語や登場人物が次々に現れた。

後世、つまりその8歳の時点からさらに8年ほど経過した16歳の私は、自らのこの奇妙な性癖についてあれこれと検証している。高1の私はこれを「ワープワード症候群」と命名し、「現実世界から瞬時にワープし、いやおうなく異世界に自分を連れ去ってしまう疾患」と日記にその定義を述べている。(自分で言うのもなんだが)高1にしては、なかなかしっかりと言葉を選んでいるように思う。ただし(当時はまだワープロというものが世に出ておらず日記も全て手書きなのだが)漢字が間違っている。「異世界」を「違世界」と書いている。

さて上記のような理由は、8歳の子どもにとって説明は無理だった。そこで私は「ちゃんと先生の話を聞く」と言った。ただそれだけだったが、普段から無口な性格がその時は幸いした。母はそれ以上の説明を私に期待しなかった。
翌日、私は母の手紙を持って学校に行き、先生に渡した。母がなにを書いたのか、それを読んだ先生はどう思ったのか、それは私にはわからなかった。

【 篠田先生 】

その直後のことだった。父の友人で、やはり中学校の美術教師をしている先生が北野家に飲みに来た。
仮にその先生を篠田先生としよう。篠田先生は子ども好きだった。父と飲む席に「いますか? 呼んでくれますか?」と私を指名することが多かった。同席したところでもちろんお酒はまだまだ飲める歳ではなかったが、私はその席が決して嫌いではなかった。篠田先生は父より数歳上(当時41歳ほど)だったが「明るいお酒の人」だった。冗談が好きで、その当時真剣に結婚相手を探していた。しかし酒の席で酔いにまかせて余計なジョークを言っては女性の失笑を買うことが多かったらしく、いつ来ても、誰それにふられた、誰それもだめだった、そんな話ばかりしては父を笑わせていた。

父はふと私を見てこんなことを言い出した。
「こいつはどうやら授業に集中することができん子らしい。担任の先生も困ってわざわざ手紙をくれたほどだ。この夏休みにどこかで修行でもさせた方がいいかもしれん」
もちろんそれは父一流のジョークだった。彼は本気でそんなことを考えていたとは思えない。ところが篠田先生はこの話に興味を持った。
「集中力を養うのは坐禅が一番です」と彼は言った。「いかがでしょう。うちの息子と一緒に延暦寺に行かせては」

数年前に離婚した篠田先生には、ひとり息子がいた。彼の息子を仮に和一郎としよう。
じつは篠田先生の実家はお寺だった。彼は次男だったのでお寺を継ぐ必要はなく美術教師になったのだが、実家を出ることなくお寺から勤務先の学校に通っていた。息子の和一郎は離婚が成立した時点で、母親についていかずお寺に残ることを希望した。ちょっと変わった子で、当時11歳で私よりも3つ上の小学校6年生だったが、(篠田先生の話によれば)その歳でなんと坊さんになりたがっていた。「お寺にいると落ち着く。お寺から外に出て働きたくない」といつも言うような子だった。

篠田先生の兄(長男)は実家を継いで住職になっていたが、子は娘が二人で男子がいなかった。なので住職は和一郎の希望をとても喜んだ。半ば養子のような感じで和一郎の面倒をよく見た。住職は比叡山につながりがあるらしく、和一郎が小学校3年生のときから、毎年夏休みには延暦寺に10日間預けることにしていた。
「預けてなにをさせるのです?」
父の質問に篠田先生は笑った。
「まあ修行中の若い坊さんたちが毎日なにをしてるのか、わきで見ておれ、てな感じでしょう」
「なるほど」
父はこの話が気に入ったようだった。
「どうだ。行くか?」
いきなり私に聞いてきた。私は目を丸くして、ただうなずいた。
「行くそうだ」
篠田先生と父は同時に笑い、この話は即決した。

【 つづく 】


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