【 魔談522 】モンマルトルの画家たち(23)

【 スリ目線 】

メトロは「えっ?」と、ちょっと驚くほどに、スーッと静かにホームに入ってきた。ここのメトロは線路を走っている上に、車輪にわざわざタイヤを装着しているからだ。なんで地下鉄にまでタイヤをつけるのだろう。屋外を走っている時に騒音を出さないためだろうか。パリ市民はちょっとしたことで、やれ美観がどうの、騒音がどうのとパリ市長にクレームを寄せるので有名と聞いている。かのエッフェル塔も建設工事中は「パリの美観を損ねるおぞましい鉄塔」と囂々たる非難が寄せられたそうである。しかしメトロの騒音にまで気を使うまでもなく、パリ市街は車の騒音とクラクションで溢れている。どうもよくわからない。

メトロ車内は結構、混み合っていた。サンポール駅から乗ったメトロは1番線だった。ところが事前の調査で、メトロ1番線は(ちょっと厄介なことに)「スリが一番多発している線で有名」とわかっている。確かにパリの地下を縦横に走っているメトロ路線図を眺めると、シャンゼリゼ通り、凱正門、ルーブル、ノートルダムといった名高い観光名所はみな1番線にそって並んでいる。つまり観光客がもっとも多い路線と考えてまちがいない。したがってスリにとっては「最も稼ぎやすい線」ということになるのだろう。

では対策というか、対抗手段としてはどんな手があるのか。
(1)座れなかった時は、どこか壁を背にして立つ。
(理由)2人組のスリが結構多いらしい。1人が背後からドンと突いて、よろけた拍子に前の人がかばうようなフリをしてポケットからさっと何かを盗む。そういう手口が多いようだ。
(2)ドアの近くには立たない。
(理由)ドアの近くに立っていると、スッとポケットの中の物をなにか取って、そのままドアから降りて逃げてしまうスリが多いようだ。

こうした注意点を読んだだけでも「やれやれ」気分となってしまうのは、やはり私が日本人だからだろうか。やはり日本の地下鉄はよほど安全だということだろうか。そこで車内に入り、座席にアキがないことを確かめると、ドア近くを避けて奥に入り、壁を背にして立った。

さて自分がスリ対抗姿勢をとり、周囲に油断なく視線を走らせた段階で、気分はもう一歩進んだ。「スリ目線」を試してみるというのはどうだろう。つまり自分がパリ一番のカリスマスリ(笑)になった気分で、車内の客を物色するのだ。想像するだけだから、犯罪にはなるまい。

すると(なるほど確かに)いるわいるわ。
「ありゃー、あれはまぎれもなく、チョロイカモだな」なんて日本人観光客・年配夫婦がいる。60歳前後の御主人は首からニコンの一眼レフを下げ、肩から下げたショルダーバッグはチャックが開いている。コートのポケットから茶色の財布ものぞいている。奥様らしき女性が彼の前に座っている。光沢のある黒地に「CHANEL」(シャネル)のロゴマークがキラキラ光るシルバーで印刷された(いかにも高級そうな)小さな紙袋を3つも抱えて、うつらうつらしている。(大きなお世話だろうが)なんでシャネルを3つも買ったのだろうか。土産として買ったのかもしれない。(全く大きなお世話だろうが)フランスの強烈な香水が日本人女性に合うとは思えないのだが、「パリのシャネルでわざわざ買ってきてくれたの!」てな感じで、受け取った日本人おばさまも大喜びなのかもしれない。

……というわけでスリ視線で見ると、まさにヨダレタラタラのオオカミになってしまいそうな光景だ。こんなのがウロウロとパリを歩くから、オオカミ男に変身してしまうパリ野郎がいるのだ。
「治安の悪さだけを責められるものではないな」などと思いながらスリ視線を楽しんだ。

( 余談 )
「パリが忘れてはならない3人」とかいうのをなにかの雑誌(たぶんブルータスだったと思う)で読んだことがある。あなたにはわかるだろうか。ド・ゴール、ピカソ、そしてシャネルだ。
「えっ? なんでピカソが入ってるの? ピカソと言えばスペインでしょ?」とあなたはいま思ったかもしれない。確かに彼はスペイン人なのだが、ずっとパリで制作を続け、パリがナチスに占領された「パリ最悪時代」もパリから離れず、ナチスの監視下でずっと制作を続けたからだ。

さて3番目のココ・シャネル(1883-1971)。
彼女の行動はピカソとは逆である。ナチスがパリを占領していた時代、彼女はドイツ外交官(じつは諜報員)と不倫。しかもナチス撤退と共に、この外交官と共にスイスに亡命。
最もこれは「フランスの裏切り者」だけでは片付けられない状況ではあった。というのも、ナチス撤退時のパリでは「ナチスに協力した女」ということで(怒りに狂った)パリ市民たちが女性に対しものすごいリンチをしているのだ。髪を全部剃られる、殴られる、ツバを吐かれる、石を投げられる、額にハーケンクロイツを描かれる、「私はナチスに協力した」と書かれた板を首からかけられて街を引きずり回される……などなど我々日本人には「なにもそこまでしなくとも」と思われるようなむごい残虐行為が発生していたのだ。もしシャネルがパリに残っていたら、今の時代に「CHANEL」ブランドが残っているなど、まずありえなかっただろう。

【 つづく 】


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