【善財くんがゆく!】第九話 善財くん、空を歩く僧に出会う:第三の善知識・善住比丘 (1)

海辺を離れてからも、
善財は何度も振り返っていた。

波の音が、
まだ遠くから聞こえてくる。

海雲比丘は、
最後までこちらを見なかった。

ただ海を見つめながら、
小さく手を振っていた。

(変な人だったな……)

善財は苦笑する。

だが、
胸の奥には不思議な感覚が残っていた。

世界は広い。

深い。

複雑だ。

だが、
すべてはどこかで繋がっている。

海雲の言葉が、
まだ耳の奥に残っていた。

善財は空を見上げる。

高い。

どこまでも高い。

白い雲が、
ゆっくりと流れていく。

(空も……
海みたいなものなのかもしれないな)

そんなことを考えながら、
善財は山道を歩いていた。

海雲から教えられた、
次の善知識。

善住比丘。

“空を観る男”。

正直、
嫌な予感しかしなかった。

徳雲は、
世界中を同時に見ていた。

海雲は、
海そのものと繋がっていた。

ならば――

空を観る男とは、
いったい何者なのか。

善財はため息をつく。

「まともな人、
いないのか……」

山道の脇に、
赤い木の実がなっていた。

善財は足を止める。

丸く、
つやつやしていて、
妙にうまそうだった。

旅を始めてから、
野草や木の実には少し詳しくなった。

善財は何気なく、
実へ手を伸ばしかける。

その瞬間――

『山道で赤い実を見つけても食うな』

海雲の声が、
突然頭の中によみがえった。

善財の手が止まる。

「……」

しばらく実を見つめる。

「なんでそんなピンポイントなんだよ……」

善財は顔をしかめた。

すると。

「おお、
それは毒じゃぞ」

真上から、
声がした。

善財は飛び上がる。

慌てて空を見上げた。

そして――
固まった。

空に、
人がいた。

青空の中。

流れる雲のそば。

ひとりの僧が、
“そこに立っていた”。

風に衣を揺らしながら。

まるで地面の上にいるかのように、
平然と。

その周囲では、
見えない楽器でも鳴っているかのように、
風が不思議な調子で渦を巻いていた。

善財は口をぱくぱくさせる。

声が出ない。

僧は腕を組み、
少し困ったような顔をした。

「いや、
だいたい皆そうなるんじゃが」

善財は数秒遅れて叫んだ。

「なっ――!?」

僧は首をかしげる。

「おぬし、
善財ではないか?」

善財はまだ空を見上げたままだった。

「えっ」

「海雲から話は聞いておる」

僧は静かに頷く。

「ワシが善住比丘じゃ」

善財は、
しばらく何も言えなかった。

ただひとつだけ、
はっきり分かった。

(また変な人だ……)

善住比丘は、
空の上で腕を組んだまま、
じっと善財を見下ろしていた。

風が吹く。

白い衣が、
雲と一緒に揺れている。

だが不思議なことに、
落ちそうな気配がまるでない。

まるでそこに、
見えない床でもあるかのようだった。

善財は恐る恐る口を開く。

「ええと……」

「うむ」

「なんで空にいるんですか?」

善住比丘は少し考えた。

「慣れじゃな」

「慣れ」

「うむ」

善財は頭を抱えた。

徳雲比丘もそうだった。

海雲比丘もそうだった。

この人たち、
説明する気がまるでない。

善住比丘は、
そんな善財を見て楽しそうに笑った。

「まあよい。
まずは来るがよい」

「来る?」

善財は周囲を見回した。

山道しかない。

「どこへ?」

善住比丘は当然のように言った。

「ここじゃ」

空の上だった。

善財は固まる。

数秒後。

「無理ですよね!?」

「そうか?」

「そうですよ!」

善住比丘は少し不思議そうな顔をした。

「海雲のところから来たのじゃろ?」

「来ましたけど!?」

「ならば、
空くらい歩けてもよさそうなものじゃが」

「どういう理屈ですか!?」

善住比丘は顎に手を当てた。

「ううむ……」

本気で考え始めている。

善財は嫌な予感がした。

次の瞬間。

善住比丘が、
すっと右手を上げた。

風が変わる。

空気が震える。

山の木々がざわめいた。

そして。

善財の身体が、
ふわりと浮いた。

「えっ」

足が地面から離れる。

「えっ!?」

荷物が揺れる。

視界が傾く。

善財は慌てて空中でもがいた。

「うわああああ!?」


☆     ☆     ☆     ☆

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