デカローグ第1話:同担でもいいから

他の神をもってはならない

「ごめん。わたし、行くのやめる」

電話の向こうで莉緒が言った。
東京駅、東海道新幹線16番線のホームにある待合室で、洋子はその電話を受けた。

「どうして? 体調悪いの?」

「別にそういうんじゃないけど……」

隣で貴子が「莉緒ちゃんから? 風邪?」と洋子に尋ねた。洋子は最初の質問の答えとして頷き、二つ目の質問の答えとして首を左右に振った。

この週末、洋子は莉緒と貴子と三人で、大阪へ行こうとしていた。

洋子がアプリで三人分の切符を取り、事前に二人のICカードの番号を登録し、二人に「改札でピッとかざすだけで乗れる」と伝えていた。

「切符代は、あとで送金しておくから」

莉緒はそう言うと、すぐ電話を切ろうとした。

「ちょ、ちょっと待って。莉緒も楽しみにしてたじゃん。具合悪いんじゃないなら行こうよ。今日は夕方までに着けばいいんだし、何本か遅らせても間に合うよ。予約してる新幹線の出発時間まで、まだ時間あるし、変更もできる。私たちは改札を通っちゃったから、一回外、出なきゃだけど、莉緒のはまだアプリからでもできる。莉緒が来れる時間帯の新幹線に変更しようよ。何時くらいなら、大丈夫そう?」

相手の返答を待たず、一気呵成にまくし立てて、莉緒が電話を切ろうとするのを制する洋子の横から、貴子が「莉緒ちゃーん、一緒に行こうよう。待ってるから」と割り込んだ。

受話器の向こうから、小さいため息が聞こえた。

莉緒をこうして引き留めながらも、洋子は内心、「これで終わりか」と思っていた。
先月、三奈が去った時から、こうなる予感があった。

洋子たち四人は『美NAN4』のファンだ。
今日はこの後、三人で一緒に大阪でのライブを観に行こうとしていた。

『美NAN4』は、18から21歳の4人の男性から成るアイドルグループだ。

洋子が彼らを知ったのは3年前。仕事で辛い思いをして帰宅し、何も考えず、部屋の電気をつけるようにテレビのスイッチを入れた。その画面に映っていたのが、彼らだった。

美しいと思った。
彼らをただ見ているだけで、心が穏やかになって、気づいたら涙が頬を伝っていた。
綺麗な景色を見たり、絵を見たりするのと同じ。美しいものは心を浄化する。癒しと清め。その二つを彼らは洋子に与えてくれた。自分だけの神を見つけたような気がした。
以来、彼らの存在は、洋子にとってなくてはならないものになった。

勇気を出して一人でライブに行った日、声をかけてきたのが三奈だった。

三奈は、職場の同僚である貴子と一緒に来ていた。
彼女たちは、洋子の母親と同じくらいの年齢だった。でも、洋子の母親とは全く異なり、明るく生き生きしていた。自分の母親からは得られない共感や同意を、彼女たちは惜し気もなく洋子にくれた。

彼女たちは洋子に「初めて?」と訊いた。戸惑いながら頷く洋子に「誰のファン?」と尋ねてきた。洋子がリュウセイのファンであることを知ると、「一緒に応援しよう」と言ってくれた。

単純に嬉しかった。喜びを共有すること。自分だけではないということ。自分より年下の若いファンが多い中、年上の彼女たちの存在が心強くもあった。距離が一気に縮まった。
同じ推しを持つ。余計なことを言わずとも分かり合える感覚。それは、単にライブをはじめとした推し活動だけでなく、日常生活のいろんな場面で、洋子に力を与えてくれた。

やがて三人は、お揃いのうちわなど応援グッズを作ったりして、ライブ以外にも交流するようになった。楽しく過ごす充実した時間の中、三奈が言った。

「私たちと違って、洋子ちゃんは十分若いんだけど、もうちょっと若い子が仲間に入ってくれるともっといいと思うの。メンバーだって、やっぱり若い子に目がいくだろうし」

「そうね。それに、アキラのファンも欲しいよね」

三奈に続けとばかりに貴子が言った。洋子はちょっとだけ残念な気持ちにもなったが、二人の提案に乗った。
確かに、アキラのファンは欲しい。『美NAN4』は、アキラ、リュウセイ、セナ、シュンの四人組だ。三奈はシュンの、貴子はセナのファンだった。アキラのファンさえいれば、自分たちのグループは完璧なのだ。

次のライブの時、グッズ売り場で、一人、所在なげに佇んでいたのが、莉緒だった。

莉緒は、現役の大学生だった。洋子に声をかけてきた時と同じように、三奈が莉緒に声をかけた。洋子たちは努めて親切に振舞い、莉緒を自分たちのグループに引きずり込んだ。

元々、莉緒はリュウセイのファンだった。
それを、アキラのファンがいないという理由で、三奈が強引にアキラファンに仕立てた。莉緒は少し戸惑いながらも、「アキラさんのことも好きだから」と言い、アキラの担当になることを受け入れた。

メンバーの誰かのファンになることを「担当」という。
同じメンバーのファンを「同担」と言い、アイドルのファン同士がグループになる時、それを避ける傾向にある。

外の世界では「好きなものが一緒」というのは、これ以上ない類似性であり、親しくなるきっかけをもたらすが、この世界では違う。推しのグループが同じであることは喜ばれるのに、推しのメンバーが同じであることは喜ばれない。多くのものは共通していても、他の人とはちょっとだけ違う何かを求める人間の心理は、こんなところにもある。推し活界隈では「同じ人を好き」というのは、団結よりも嫉妬を招く。最初から「同担拒否」と宣言し拒絶することで、無用なもめ事を避けてるのだ。

担当が被った時、優先権を持つのは先に好きだと表明した者だ。
このグループでは、既に洋子がリュウセイを好きだと公言していた。このグループに入る以上、莉緒はリュウセイの担当にはなれない。

そうして三人の思惑通り、莉緒を招き入れた洋子たち四人は強い結束で結ばれた。
お揃いのグッズに身を包み、うちわを掲げ、お揃いの掛け声を発した。ライブ会場は、誰にも何にも侵されない聖域と化した。『美NAN4』が続く限り、彼女たちの絆は結ばれていく。

至福の時間を終わらせたのは、三奈だった。

人気に少し陰りの出始めた『美NAN4』の後輩として、彼らの所属事務所は『愛LoveU』という別グループを立ち上げた。その中のあるメンバーに、三奈が心変わりしたのだ。

それは、『美NAN4』のみならず、洋子たちに対する裏切りでもあった。

だが三奈は、そんな洋子たちの憤りをものともせず、それどころか、言葉巧みに莉緒まで引き抜いた。今なら心置きなく自分の好きなメンバーを推せるよ、とでも言ったのかもしれない。三奈と莉緒の好みは全く違ったので、担当が被る可能性はゼロだったのだ。

「莉緒ちゃん、アキラが悲しむよ。行こうよ」

三奈の狡猾さや莉緒の心変わりに何も気づいていない貴子が、莉緒を促す。

「わたし、別にアキラのこと……」そう言いかけた莉緒の言葉を遮り、洋子が言った。

「そうだよね。知ってる。莉緒はリュウセイが好きだったのに……。無理にアキラの担当にしてごめん。でもさ、リュウセイは? もうリュウセイのことも、好きじゃなくなった? リュウセイより『愛LoveU』のメンバーが好きってこと?」

電話の向こうで、一瞬、声が詰まったのが分かった。莉緒は、まだリュウセイが好き。

そう思ったら、洋子は居てもたってもいられなくなった。
去る者追わず。莉緒の心がもう、リュウセイにないのであれば、それ以上追っても仕方ない。ここに来ることをあれこれ説得しながらも、洋子の心はどこか、醒めていた。
でも違う。莉緒の神は、今でもリュウセイなのだ。
だとしたら、共に信じて委ねた神である存在を守るため、莉緒を引き戻さなければ。

そんな洋子と莉緒の駆け引きに気づくことなく、貴子が詰め寄る。

「洋子ちゃん、何言ってるの? あの子たちに心変わりしたのは三奈さんでしょ。……え?莉緒ちゃんも、なの? 私、そんなの……聞いてないよ!」

洋子はそんな貴子の叫びを無視して、電話の向こうの莉緒に食い下がった。

「私たちにとって、リュウセイは神様じゃなかったの?」

「う……」

呻き声にも似た、小さな息の塊が受話器越しに洋子の耳に届く。

洋子が食い下がるのは、寂しさからというよりは、信じていたものが汚される焦りからなのかもしれない。仲間としての莉緒ではなく、信じられる存在としてのリュウセイを手放したくなかった。私たちにとっての神は、リュウセイだけなのだから。

「私、そんなのいやだ。もう、同担でもいいから。だから一緒に応援しよう」

洋子は、思わず電話口で叫んでいた。狭い待合室に、その声が空しく響いた。

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『デカローグ』第一話、いかがでしたでしょう。この作品は、ホテル暴風雨10周年記念企画「10」にちなんだ10話連作の物語です(くわしくは前回のエッセイを)。「宗教的なものにはならない」と予告されていましたが、現代における神、「推し」が降臨しました! リンクした峰歩さんのエッセイにもありますが、十戒の第一は

1.唯一の神:他の神を持ってはならない

なのですが、アイドルという神を応援する世界はさらに複雑で、複数の神を持ってはならず、また友人と同じ神を持ってもいけない!? 他の神を持とうとした莉緒と、莉緒と同じ神を持とうとする洋子。どちらも神を持ち続けるための行いというところが現代的です。あなたはどう感じられたでしょうか。よかったら教えてください。次回もどうぞお楽しみに。

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