【 魔の自己愛 】(12)引きこもり男の家出

【 3 回 の 家 出 】

自宅と庭から一歩も外に出ようとしない引きこもり作家が家出。また極端から極端に走ったものだと思ったが……
「まさか自殺の可能性は……」
「それはないです」
迅速できっぱりとした否定にとりあえず安堵した。
「警察には……」
即答はなかった。今度は微妙にためらいがあった。
「じつはこれが初めてではないのです」
「ああなるほど」
「3回目です」
これには笑った。
「つまり今までに家出を2回やって、2回とも戻ってきたと」

(くどい念押しだな)と内心で苦笑しつつ、サルタヒコと名乗る作家に徐々に興味を持ち始めた自分がおかしかった。1回目も2回目も1週間ほどで戻ってきたという。どこに行ったのか、なにをしていたのか。一切、言わないそうだ。

「そういうのは、家出になるのですかね?」
「さあ」彼女も笑っている。「……他に言葉が見当たりませんし」
「徘徊」
とりあえず言ってみたものの、言った瞬間に(……いや、違う)と内心で否定した。

「長いおつきあいなんでしょ?……どこでなにをしていたのか、おおよその見当ぐらいはつくのじゃないですか?」
「昔から……謎だらけの人でした」
とにかく無口で、自分の気持ちや考えを話さない。どんな声だったか、忘れてしまうほどだという。
「よくそれで教師が勤まりましたね」
「一度だけ、教頭先生から聞いた話なんですが……」

サルタヒコは以前、中学校で美術を教えていた。
講義はスタイルが決まっていた。彼は毎回の講義冒頭で手書きの資料を配った。今回の課題ではどのような画材を使うのか。いつまでに完成させるのか。どのような点に注意して描くべきか。さらに次回の授業で持ってくる画材はなにか。すべてそこに書いてあった。
彼は生徒を指名して、その資料を端から端まで、全部朗読させた。課題は物語や小説の一部だったり、風景の説明だったりした。生徒が朗読につっかかったり漢字が読めなくて止まってしまった時は、いつも手にしていたステッキで床をカツンとたたいた。次の生徒を指名する際も「鈴木!」「加藤!」と短い呼び捨てだけが教室に響いた。異様な緊張感が室内にピンとはりつめていたという。

「ステッキを?……足が悪かったのですか?」
「いいえ、勤めていた時代にはいつもステッキを持ち歩いてました。単に好きなんでしょう」
「ははあ。それにしても変わった授業ですね。作品の講評は?……それはなしですか?」
「作品は提出させたそうです。返却された時に、評価なり感想なりが裏に書いてあったとか」
「なるほどねえ。……そこまで自分の声を発したくないというのは、なんか理由があるのですかね?」
「気力をずっと体内に溜めこんでおきたいのだと」
「気力を?……彼がそう説明したのですか?」
「いいえ。私の解釈です」
「なるほど。……で、溜めてどうするのです?」
「指先から放出するようにして作品をつくるのだと思います」
しばらく我々は黙った。

「じつは……もしお会いしたら、話してみたいと思っていたことがあります」
「なんでしょう?」
私は「サルタヒコ」を調べて「アメノウズメ」との関連性について知った経緯を語った。

「あの時はシーラ・ナ・ギグと言いましたが、サルタヒコが何体も作っているあの女性……あれはじつはアメノウズメだという説はどうです?」
しばしの沈黙。しかしその沈黙には、なにか一種の手応えのようなものを私は感じていた。

「サルタヒコはおりませんが」と孤蝶さんは言った。「もう一度、あれを見たいと思いませんか。じつは他にもお見せしたいものがあります」
私はうなずいた。

つづく

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