魔の絵本(5)エドワード・ゴーリー著「優雅に叱責する自転車」

<この投稿は暴風雨サロン参加企画です。ホテル暴風雨の他のお部屋でも「優雅に叱責する自転車」 に関する投稿が随時アップされていきます。サロン特設ページへ>


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1冊の絵本につきざっと3分間ほど。時間をカウントするというほどのことでもない。クラス全体の雰囲気をしばらく見ていて「……次、行ってもいいだろう」と思ったら「はい、次!」と声をかける。

受講生たちは楽しそうだ。次々に絵本を見て、ごく自然に笑顔になっている人が多い。しかしこのクラスに限り、「ごく自然には笑顔になれない」絵本がまぎれこんでいる。

講師は全体を眺めているようなフリをしつつ、じつはそれとなくひとりの娘が机上に出す絵本に最初から注目している。棺桶バッグから出てきたのは、なんと「優雅に叱責する自転車」だった。

「ありゃー、こっちか。こりゃ予想が外れたな」と彼はちょっと意外に思う。たぶん持ってくるのは「ギャシュリークラムのちびっ子たち」だろうと予想していたのだ。なにしろこっちの絵本ときたら、ちびっ子たちが次々に死んでいく、という壮絶な絵本である。これこそはゴスロリの棺桶から出てくるにふさわしい絵本と言うべきである。タブーもタブー、「よくもまあこんな絵本が出版できたな」と思うような絵本である。性格の曲がった講師は「あの娘が持ってくるのは、まんずギャシュリークラムにちげえねえ」と予想したばかりでなく、その問題絵本が次々に回されて行く状況を「本日の最大の楽しみ」にして出講してきたぐらいなのだ。チラッと御本人を見ると、すかさずこっちを見てニコッと笑っている。あわてて視線をそらしつつ「見抜いたな。わざと自転車にしたな。ゴスロリめ!」と苦々しく思ったりする。

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しかし自転車の方も負けてはいない。ギャシュリークラムのように「ページをめくるたびにのけぞるような衝撃」ということはないのだが、「なにが言いたいのか」「なにを伝えたいのか」さっぱりわからない、最後までわからない、といったオカシミというか、奇妙さというか、「絵本にあるまじき不条理性」というか、そういうものがこの絵本にはふんだんにある。したがってなんの用意も警戒もせず「さて、次も楽しませてちょうだい」という感じで笑顔のままこの絵本を受け取った受講生の表情の変化がじつにこう、面白い。大変に面白い。頭の上に「?」マークがパカッ、パカッ、と次々に点灯してゆく感じ。事情を知る屈折講師にとって、これほど面白い光景はない。

「えっ?……えっ?……えっ?」という感じで、何度も行きつ戻りつする娘がいる。「?」はどんどん増えて、今や20個ぐらいは彼女の頭上で煌々と点灯していそうだ。その次の娘は一見してなにか一種異様な雰囲気を察知したらしく、先程までの笑顔はどこへやら、眉間にグーッとシワを寄せて顔を近づけ、ページをめくっている。殺虫剤を山ほどぶっかけた後のゴキブリを検死しているような表情だ。屈折講師は内心で爆笑している。しかし講師稼業が長いので、こうした時に笑いを漏らすようなヘマは絶対にしない。

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「さて」と講師は声をかける。

「いま手許にある絵本。10分後にその絵本の魅力を語っていただきます。……いいですか。自分が選んできた絵本はこれですよ!……と言わんばかりの、愛情をこめた説明ができるようにしてください」

ゴスロリは首を回して自転車の行方を探している。「当然だろうな」と思う。自転車を手にしているのは、ゴスロリより10歳は年上だろうと思われる堂々たる風格の女性で、もし小学生のお子さんがいらっしゃれば「PTA会長の席はまずまちがいなし」といった感じだ。

「ははあ」という目でゴスロリがこっちを見ている。屈折講師はシランプリポーカーフェイスである。

・・・・・・・・・・・・・・・・…( つづく )

ギャシュリークラムのちびっ子たち エドワード・ゴーリー

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※暴風雨サロン参加企画:2002号室のシャルル大熊さんによる「解説ではなく解読でもなく。絵本『優雅に叱責する自転車』について」もぜひどうぞ。


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