「アイスです」~黒沢秀樹の育児クリエイティブノート

今週も公園に子どもと散歩に出かけた。風はまだ冷たかったが天気は良く、高く広がる空を背景に、新緑が風に揺れていた。息子はまだ生え揃わない芝生の上に座って、大好きなソーセージデニッシュのソーセージの部分だけを食べている。
外から見れば穏やかな休日の親子の姿だろう。しかし実際のところは締め切りが迫っている案件や催促されている作業、夕食の献立や必要な買い物、返信が滞っているメールのことなどが頭の中にあるドアをずっとノックしている。そしてなにしろ子どもはパンを食べているので何もすることが出来ない。「すみません、今外出中です」と自分で自分に言い聞かせる。

このところのお食事抜き打ちテストの成果もあまり芳しいものではない。アイスクリームやドーナツなどの新しい食べ物との感動的な出会いと同時に、慣れ親しんできたものには食べ方にもこだわりが出てきた。

「ぎゅうにゅう」というのでコップに入れてどうぞと差し出すと「やだ」と言って突き返される。
不正解。正解はテーブルではなく、テレビの前のソファーで飲みたかったらしい。

ごはんを食べたにもかかわらず、パンを見つけて「ぱん、そこ、みっけ!たべる!」というので仕方なく差し出すと、泣き出す。
不正解。小さくちぎって「何か食べさせて欲しかった」らしい。

お風呂上がりにバナナを指差し、「バナナ!バナナ!バナー!」とデモ隊のように連呼するので食べやすい大きさにカットして出すと突き返される。
不正解。自分で皮を剥いてそのまま食べたかったらしい。

「いちごー、ちご、ちご!」というので切って皿に出すと、「やだのん、ばいばい」と言われる。
不正解。フォークを使って食べたかったらしい。

そして定番「ふーふー」である。息子はこのところかなり熱いものでも食べられるようになってきたが、この「ふーふーする」という作業にことさら思い入れがあるらしい。なかなか食べずにすっかり冷めてしまったスープやから揚げなどをスプーンに乗せると、すっと目の前に差し出して「ふーふー」と言うのである。「もう熱くないからだいじょうぶだよ」と言ってももちろん聞き入れられない。これは大人にもよくあるコミュニケーションのつまづきだが、要求の目的が違うのである。子どもは熱いものを冷まして欲しいのではなく、「ふーふー」がして欲しいのである。
こんな時、いったい自分は何のためにこんなことをしているんだろうかと思うことがあるが、これは多くの養育者が感じる気持ちではないだろうか。

そして最近は細かいことにも良く気がつくようになった。
おもちゃについた髪の毛や、箱に空いた小さな穴などをめざとく見つけて報告してくるし、食べたくない野菜は実に丁寧に取り除く。靴下や洋服のほつれなども指摘してくるので、リーディンググラス(老眼鏡です)をかけてそれを確認する始末である。

冷めたスープを「ふーふー」することの意味を考えてしまうようになると、自分の心も相当冷えてしまっていると言えるだろう。そういう見方をするならば、育児は不合理で非効率的なことのオンパレードである。しかし、大人にとっては無駄に思えることこそが、子どもにとっては大切だったりする。あまりに不正解が続くと、もう誰も知らない遠い国に行ってしまいたくなってくる。

そんなことが続いて仕事の忙しさも重なったある日、さすがに疲労困憊して床に倒れ込んでしまったことがあった。しばらく目を閉じて横になっていると、息子が走り寄ってくる気配がした。また泣くのか、アンパンチか、もしくはおなかにダイブされるのか。もう無理だ、どうにでもなれと思ったその時、さわさわと心地よい感触があった。
うっすら目を開けると、息子は「なでなで」と言いながら倒れている自分の髪を触り、そして小さな手を口元に差し出してこう言った。

「アイスです」

アイス?と一瞬思ったが、気がつくと「わあ、あむあむ、おいしいねえ」と食べる真似をしていた。食べながら、息子なりに自分に元気を出させるにはどうしたら良いかを考えたのであろうと思った。きっと最近初めて食べたアイスクリームがよほどおいしかったのだ。
大切なことは子どもの方が良く知っているのかもしれない。これからちょっと疲れた時は、アイスクリームでも食べてみようと思った。

(by 黒沢秀樹)

※編集部より:全部のおたよりを黒沢秀樹さんが読んでいらっしゃいます。連載のご感想、黒沢さんへの応援メッセージなど何でもお寄せください。<コメントフォーム
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