対照的なドキュメンタリー「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」と 「主戦場」

今回は対照的な2本の記録映画を取り上げる。一本は日韓の「従軍慰安婦問題」をテーマとした、演出も派手な「主戦場」。一本はそれに対して淡々と展開する、ニューヨークの公共図書館の活動を描く「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス

まずは「主戦場」である。
日系アメリカ人である監督が、従軍慰安婦というテーマを巡る右派と左派の論客27名にインタヴューを続ける構成。それだけの数を取材対象にしたのは驚く。しかし、この映画が4月下旬に公開された後、出演者数人が上映差し止めを求める記者会見を開いている。撮影当時上智大の院生だった日系2世ミキ・デザキ監督が卒業制作にするからとの要請で撮影に応じたが、商業映画として上映することは約束を破っている、というものだ。これに対して監督は反論を行っている。

「主戦場」監督:ミキ・デザキ

「主戦場」監督:ミキ・デザキ

私はこの映画は正直言うと、意図したかどうかは分からないが結果的に左派からのプロパガンダ映画になっている気がした。私自身は、韓国映画を始めとして韓国・韓国文化が好きな「親韓派」だと思っているが(十数年前韓国に1年間滞在したし、友人もいる)、映画として公平さに欠けるのではないか。
右派の慰安婦研究の第一人者秦郁彦氏(新潮選書「戦場の性」)が登場しない、また、在韓40年に及ぶ日本最高の韓国ウォッチャーであるジャーナリスト黒田勝弘氏の発言もない。それから、中立の立場で優れた本を書かれた韓国人研究者朴裕河氏(名著「和解のために」)の扱いも小さい。出てくる論者27名中、左派が18名だったか。これも不公平。

もちろん、右派の面々には人格的にどうかと思う方もいらっしゃる。品のない言葉と決めつけで、それが画面に出てしまっていると思う。しかし、右派の論者の人格で、この大きな慰安婦問題を判断したらいけないのではないか。そもそもこの問題は20数年続いて、双方からいろいろな検証が行われて来たデリケートなことなので、この問題を高々2時間の映画にまとめてしまうこと自体が無理ではないか。

こういう問題は右派・左派双方の立場から意見や判断材料を出して、見た人に自分の頭で考えてもらう、あるいは考えるきっかけを与える映画にすべきだったのではなかろうか。
もうひとつ、この映画に違和感を覚えるのは、音楽をどんどん流して煽るような演出(例えば太鼓の音)をしているからだ。もっと冷静に伝えられないものか。

一方、アメリカのドキュメンタリーの巨匠フレデリック・ワイズマンの「ニューヨーク公共図書館」ではナレーションは全くない。音楽も効果音もなし。ただ淡々と、映像が映される。観客はそこから自分の目で見て自分の感性で向かい合う。

「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」監督:フレデリック・ワイズマン

「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」監督:フレデリック・ワイズマン

作品は、世界有数の大きさを誇る図書館の日々の活動と職員たちの舞台裏を描いている。図書館を単なる本の書庫にするのでなく、利用者のための開かれた教育機関にしようと様々な活動を行っている。
著名な評論家や本の執筆者を呼んでの講演活動や読書会であったり(高齢の女性が、コロンビア人作家ガルシア・マルケスの本について情熱を込めて語るのがとてもいい)、あるいは現職の消防士を招いての就職の説明会であったりして多岐に渡る。貧しい人のためのパソコン教室まで開かれる。
ただ、私個人の感想だが長すぎ。3時間26分の作品。もう少しタイトに出来ないものか。岩波ホールで見た時、隣の30代のカップルは前半終了後に席を立ちついに帰ってこなかった。

映画「ナショナルギャラリー 英国の至宝」

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さて、好きな映画をもう一本!
ワイズマンの作品で好きなのはロンドンの美術館「ナショナル・ギャラリー」を描いた「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」だ。
学芸員が一般客に向けて冷静かつ情熱を込めて絵の見どころを説明していく。例えば、ホルバインの「大使たち」の絵の説明。右下に円盤のようなモノが描かれている。ある角度からのみはっきり見えるのは、何と、人間の骸骨である。そういう風に描いてあるのだ!その理由の分析なども納得がいく。じっくり聞けて私もそこにいるような臨場感を得られた。
この作品は長編だが長いとは全く感じられない。

(by 新村豊三)

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