昨年海外の出来事で最も関心を持ったことは、北のミサイル発射とシリアを中心にした難民の問題であった。
北については、私は少々突飛かもしれないが次のような考えを持っている(これは、昨年の文藝春秋11月号に掲載された作家佐藤優氏の論文の受け売りだが)。いくら経済制裁をしてもいくらでも抜け道があり金正恩王朝にはあまり響かない。むしろ、北にはパキスタンのように核保有を認めさせ、その上で、各国が友好条約を結び、交流を図り市場原理を導入させて大量消費文明を浸透させる、それに伴って人権や平和についての思想や情報を流入させることで独裁体制を維持できなくさせる、という戦略がいいというものだ。
さて、映画の話に入ります。世界の映画人は世界をヴィヴィッドに捉え、難民の問題についても様々な映画を撮っている。昨年見た映画の中で映画的に面白く、かつ難民問題についての思考を深めてくれたのが、フィンランドの個性派監督アキ・カウリスマキの「希望のかなたに」であった。
この監督は、これまで、仏頂面の地味で冴えない市井の中年のオジサンオバサンが登場して、大きな事件が起きるわけではないが、クスッと笑えて味わいがある佳作をずっと撮ってきた。
実は前作もフランスの港町を舞台に、アフリカからの難民の少年を救う作品だった。この作品には正直それほどの感銘を受けなかったのだが、今回は違った。
今回は、舞台が首都のヘルシンキで、そこにシリアからの難民が登場するのだ。難民の若者が船の行き先を間違えてこの街に着いてしまい、若者はここで働きながら、旅の途中で離れ離れになった妹の消息を探していく。冒頭、港で石炭の積み荷からぬっと真っ黒な顔を出すショットが印象的だ。
若者を自分の飲食店で雇って、いろいろと支援するのが、60代くらいのオジサンと店の従業員だ。しかしこの地にも難民に対していろいろな考えを持つ人がいて、ネオナチの連中は若者に暴力を加えたりする。
シリアスなテーマだが、映画がやっぱりユーモアを持っているのが好きだ。例えば、その飲食店は始めたばかりなので、何と日本料理を試みることも行う。日本酒と寿司を出し、鉢巻をし、法被と前掛けで働いたりする。間が抜けた感じだが、人間臭い。若者を救う方策を話し合う時も皆、寡黙だし突っ立っているばかりだ。でも、そこに味わいがある。
終盤、ついに妹が現われることになり、映画はラストにかけてエモーショナルな盛り上がりを見せる(監督は、やや曖昧な、見る者に結末が任せられているようなエンディングを選択している)。この作品は昨年のベルリン映画祭で銀熊監督賞を受賞した。
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さて、正月早々だが、シリアスなシリアの内戦を描いた記録映画を紹介したい。いつもの様に「好きな映画」という訳ではないが、内戦の実情を知るための「優れた映画」として一見に値する。
2015年の夏に日本で公開された「それでも僕は帰る~シリア 若者たちが求め続けたふるさと~」である。
衝撃的という言葉では言い表せない痛切な映画だった。シリアのアサド政権に反対し最初は平和的に抗議、しかし段々戦闘的になってゆく若者達を追っている。元サッカー選手で世界大会にも参加した若者がその中心だ。
アレッポと言う街で撮影されているが、これが、まさに砲弾は飛んでくるし、仲間は負傷したり死んだりしてゆく現実が赤裸々に描かれている。爆撃を受けた建物(人々が暮らすアパート!)はひどい破壊を受け、そのため、家と家の間の壁も砲撃弾で大きな穴が開き、そこを通って人が出入りする!
街はほとんどの人が避難してゴーストタウン寸前。こんな風に内戦は続くのかと思った。製作者達は生死を顧みずによく街の中に入り、闘う人々と共に行動して映画を作ったと思う。
ラストは、そのサッカー選手が、再び帰って来れない可能性があるのに、仲間を救うために戦場となっている街の中に入っていくという場面で終わる。胸が掻きむしられるような映画だ。
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(by 新村豊三)