2017年6月10日(土)都内で行なわれた野島道場15周年記念イベントにおける公開インタビューです。(インタビュアー:山岸浩史 文まとめ:風木一人)
・・・・・・・・・・・・・・・※黒字は森信雄七段、赤字は山岸浩史インタビュアーです。
村山聖九段のこと
「村山聖九段のことをもう少し聞かせてください」
「村山君は棋譜並べで、ある棋譜をぜんぶ順番に並べるんですよ。強い棋譜だけ並べるんじゃなくて、どんな棋譜も。アマチュアの棋譜も並べていました。
あまり強くならない子は強い棋譜から順番に並べて、下の方のぼくなんかの棋譜は見ないんですね。これはよくない。
強い人は強い人としか指さないことが多いけれど、村山君はやろうと言われれば誰とでも指していました。情熱のあるタイプだったら、強い弱いには関係なく。
いまは関西でもすごいんですよ。ABCDEくらいまでランクがあって、Aランクの人はBやCとはやらないとか。それくらいシビアなところがあります。
でもぼくはそういうの好きじゃない。一緒くたにやるのが好き。強いもん同士だけでやって強くなるのはあんまり面白くないでしょう。いろんな人が混じっているから面白いと思います」
「もし村山さんがご存命だったら将棋界は何か変わっていたでしょうか?」
「変わっていたでしょうね。
本当に模範的に、将棋に対して真摯に魂をこめて打ち込んでいました。一緒に住んでいてすごいなあと、ぼくももっと勉強すればよかったと思いました。(注:村山聖九段は内弟子として森七段宅に住み込んでいた時期がある)
勝ち負け、強さのことではないんです。向き合い方がすごい。将棋一本が行き渡っていた。あそこまでの人はいそうでいない。生きてたらきっといろんな人に影響を与えていたと思います」
「つい、いま村山さんがいたら羽生さんとどう戦っただろう、コンピュータソフトとはどう戦っただろうと想像してしまうのですが……」
「成績的にはそんなに活躍してなかったかもしれません。体調が悪いから。無理です。
ぼくは早く負けた方がいいと思っていたところもありました。勝つと心配が増えるから。どんどん勝ってタイトル戦に出て、そこで体調が悪くなったらどうしよう。そういう心配です。
ほどほどに勝っていくのがいいと思って、そう言ったこともあります。にらまれましたけどね、軽蔑のまなこで(笑)。
「ぼくは全部勝ちにいきます」と言ってた。
ただ、あるところから、身体の調子が悪くなってから、意外にぼくの言うことを聞いていましたね。なんとなく体調に合わせていました。そのときは聞かなくても、やっぱり師匠の言うことなんで、聞いてくれてんやなあと思って。
ぼくは村山君の棋力についてはタッチしたことないです。将棋に関しては村山君が先生でぼくが弟子みたいなもんなので。
奨励会時代も成績を気にしたことはないです。ほっといたら勝つし、負けたら寝込んでいるからわかりやすかった。
2勝1敗でも寝込んでいましたね。3連勝でないとダメです、って。
村山君は将棋の心配は一度もなかった。今日最初にお話しした星の並びについて(その1参照)も自分ですごく冷静に考えていて、ここは負けられない急所と思ったら、実際勝っていましたね」
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村山聖九段の名局10局を羽生善治三冠と先崎学九段が解説した本。
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森信雄七段インタビュー、明日は「その6」最終回です。